本ページは論理は死んでいるの続きである。
地球は丸いと思うだろうか?
それとも平面だと思うだろうか?
天体の動きや衛生の写真でもわかるように地球は丸い形をしている。
いまから約2500年前にはすでに「地球は丸いのではないか」と考えている人がおり、西暦1500年頃には世界一周航海によって地球が丸いことが一般的となった。
しかし、現代においても「地球が平面である」と考える人たちがいる。
これは半分は正解だ。地球は平らである。このページではその理由を説明したいと思う。
「地球が平面である」を論破できない
人間は心魂に基づいて生きており、論理に基づいて生きてはいない。だから、どれだけ論理的に正しいことを言っても心魂に響かなければ無駄である……という話をしていきたい。
あるところに「地球は平面だ」と言っているAさんがいた。周囲の人はAさんの発言は誤りだと思ったので訂正をした。
- 月食の影が円形だから地球は丸い
- 航海で一周できるから地球は丸い
- 宇宙から写真を撮ると角度に依らず地球は丸い
- 平面の星は観測されていないので統計的に地球は丸い
しかしAさんは納得しなかった。いくら論理的に正しくともAさんを納得させないと論破にはならない。Aさんに地球が平面だと思う理由を聞くと「なんとなく」と答えるのだ。そして月日が流れ……Aさんは寿命を終えた。
Aさんの人生とって地球は平面だった。どんなに論理を積み上げてもAさんの生きた世界、見ている世界、感じている世界は変わらない。
論理というのは共通のルールを守った人たちだけに通じる”遊び”だからだ。
トランプゲームの大富豪と同じである。大富豪のルールだと最弱カードは3、最強カードは2だ。大富豪のルールを守る人には3より2が強く、ポーカーのルールを守る人には2より3が強い。これは決め事である。
論理とは物事の本質・根っことは関係のない、宙ぶらりんの場所にルールを追加したものである。心魂が土台であり論理は遊びなのだ。
モスバーガーとマクドナルドはどっちが美味しい
別の例をつかって引き続き同じ内容を紹介しよう。
あるところにAさんとBさんがいました。Aさんは「モスが1番美味しい」と言い、Bさんは「マックが1番」と言います。2人は相手の考えを改めさせようと議論しました。
Aさんは店舗数のデータを出した。世界の店舗数を比べるとモスは約2,000店舗、マックは40,000店舗ある。店舗数の多いマックのほうが美味しいという主張だ。
Bさんは商品の提供スピードを比較した。マックよりもモスのほうが時間をかけて商品を出すので1つ1つの品質が高い証拠だと言った。
あらゆるデータで議論した結果、2人の意見が変わることはなかった。「自分の美味しいと思うものが美味しい」とお互いが主張した。
理解しているのにわからないこと
上記のような話しをすると次のような反応がみられる。
- そんなこと言われなくてもわかってるよ
- ずっと当たり前のことを言ってるだけ
これがまさに論理と心魂の妙である。誰もが論理的には理解している。頭ではわかっている。それと同時に、心魂ではわかっていないのだ。
“理解している”のに”わからない”は論理的な矛盾であり、生活は矛盾の中にある。次回はその理由を解説していきたい。