感情と心魂の違い

前回の理解したのに理解していない矛盾から引き続いて感情と心魂について解説していきたい。

感情とは肉体の生理作用である

この世には3つの世界があるでお伝えしたように、この世は次の3つに分けられる。

  • 物理の世界
  • 論理の世界
  • 心魂の世界

ヒトの感情とは物理世界に属する概念だ。感情は脳によってつくられる衝動であり、物理法則に則って動くものだ。そのため脳内物質・電気信号によって感情が生まれ、外部から薬剤や電気刺激を与えると感情を書き換えることも可能となる。

心魂とは

心魂とは言葉では表現できないものだ。無理やりに言葉にするならば、感情が生まれる前にあるナニカのことである。

嬉しいとか、悲しいとか、満足とか、じれったいとか、歯がゆいとか、切ないとか……あらゆる言葉を尽くしても表現できないもの。

あえて、そんな心魂を言葉で表現することを試みたい。

神性や霊性を信じる心

心魂をあらわす1つのものは、神性や霊性を信じる心だ。これは過去の記事でも触れた通り、神を信じないAさんが「キミは選ばれた。強さを持っているんだ」という詩を読んで勇気づけられた、という話しである。

神を信じないならばいったいダレに選ばれたんだ、という話しになるだろう。選ばれる側になるためには選ぶ側の存在が必要なのだが、Aさんは選ぶ側の存在を信じていない。これこそが心魂の片鱗だ。

Aさんは人間を選ぶナニカを感じていて、論理や理性とは別のところでナニカがあると信じている。

私が存在する感覚

“私が存在する”という感覚そのものが心魂である。自分に対して意識を向けると、自分が存在していることを感じられる。この感覚は感情とは違うものだ。嬉しくも悲しくもない。ただ存在していることが感じられる。感情が生まれる前段階に心魂の片鱗が見られるのだ。

なんとなく

心魂をあらわす表現の1つが”なんとなく”だ。難解で心がゾワゾワする話しを聞いたあと、なんとなくわかったようなわからないような……しかしナニカを感じているような……そういった感覚になったことはないだろうか。

それは心魂の片鱗である。論理とは別のところでナニカを感じ取って受け止めた感覚なのだ。

まとめ

以上が感情と心魂の違いとなる。心魂は感情の手前にあるものであり、言葉では説明できないものの、誰もが過去にその一片を感じたことがあるものだ。

次回は巷で哲学的だと形容されるA=非Aについて『リンゴはリンゴではないからリンゴであるし、リンゴでないからリンゴである』という切り口で解説したいと思う。